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「人生は一回」というありふれた事実

どう足掻こうが、おそらく人生は一度しかない。

そして、私たちはいつ死ぬかわからない。

 

こんな理不尽の中に生きている。

望んで産まれてきたわけでもないのだから、好きに生きるが良い。

親に孝行しようだなんて考える必要はない。親は「あなた」を産もうとしたわけでもない。あなたが頼んだわけでもない。せっかく拾った命であり所有者は君である。

 

人間は大勢で生きていくために社会的な仕組みを作った。

多くの人は会社という単位に所属し生きていく。理不尽な人生である。仕組みの中に生きるのは仕組みに守られているということでもある。

 

しかし、何より人生は一度しかないと、毎朝唱えたほうが良い。

有り体に言えば、「今日は人生最後の日かもしれない」

別に変ったことをする必要はない。しかし唱えるのである。想像するのである。死ぬ、ということを。

 

後悔はないか?

悔しくはないか?

寂しくはないか?

 

人生に「正しさ」など無い。

あるのは「社会的に望まれる振る舞い」程度のもの。

あなたの人生は間違ってもいなければ正しくもない。

ただそこに在る。そしていつか消滅する。

せいぜい自分の命を燃やすことである。

あなたは幸せではない

「幸せになりたい」

なんて考えてはいけない。

あなたは幸せにはなれないのだから。

 

幸福という言葉は麻薬のように人を思考停止にさせる。「なぜ私は幸福ではないのか?」という出口のない思考の迷路に人を陥れる。

 

人間は幸福になれないようにできている。

そう考えて「幸せになりたい」なんて美辞麗句をとっとと捨てる。

 

悩み苦しみそして死んでいく。人間とはそんな不幸な生き物でしかない。

幸福という言葉はその現実を都合よく覆い隠す。

もしも世の中の人間の多くが幸福なったとしたら、不幸な人間の気持ちはどうなるか。暗闇の瀬戸際で孤独に悩む人間の存在など誰も気にかけない。

 

自分は幸福である、と勘違いしている人間は多い。そういった人間は無自覚に驕る。

迷いながら、苦しみながら、泣きながら生きている人間が見えなくなる。

 

自分は幸福である、と他人から見られたい。

結局幸福とは世間体と自己保身の為に用いられる武器でしかない。

「自分の人生は上手くいっている」と信じたい。

今の立場を失いたくない。

 

そのサイクルの中に取り込まれるのは心地よい。けれど心はいつの間にか空虚なものになる。脱落した人間を見下すことに心痛まなくなる。

 

人間は不幸で良い。

幸福がないとしても、幸運は存在する。その幸運によって時として人生が輝く瞬間が訪れる、かもしれない。

 

苦しむ、もがく。

生きる本質はそこにある。

 

 

「努力」を信用しない

「努力は報われるとは限らない。しかし成功者はすべからく努力している」

というセリフが崇められるほど、日本人は努力という言葉が大好きである。

 

しかしどうにもこのセリフは臭い。

このセリフを盲目的に信用して「努力は必ず報われる」と成功者がのたまうのは納得がいかない。

 

もしもこのセリフがこの世の真理を表しているのなら、世の中相当生きにくいはずである。だって努力の総量によって人生のランクが決まってしまうのだから。

 

成功には運の要素が相当作用する。

だから前半の「努力が報われるとは限らない」というエクスキューズが不可欠なのだろうが、それはあまりに都合がよい。

 

死ぬほど努力して成功できなかった。

「報われるとは限らないからね」この一言で終わりである。

訳知り顔で「でもこの経験はいつかきっと役に立つよ!」とかなんとか言われてもそんなアドバイスは糞の役にも立たない。このまま努力しても絶対トップにはなれない。かといってほかのジャンルへ移るとまたイチから努力せねばならない。

 

世の中大した努力もせずに成功した人間は割と大勢いて、たぶんそういう人物は「わらしべ長者」以外に大した伝記にも物語にもなっていないだろうから、社会から黙殺される。

 

初めから「努力しようがしまいが人生何が起こるかわからない。だから適当に生きろ」と言われれば相当楽になる。少なくとも努力至上主義に陥り、「あんなに努力したのに……」とほろほろ落ち込んでいるところに、他人から「お前より努力した人間がいたってことだよ」と、あっさり論破されるような事態には陥らない。

好きなことを自分なりに、適当に頑張ればよい。ひとつのことに打ち込むなり、色んなことに挑戦してみるなり、何にもせずとりあえず寝てもよい。

 

努力と神聖視するのは良くない。

 

完全な努力主義の世界では怠け者は淘汰される。

洗濯機も冷蔵庫も掃除機も怠けるために作られたはずなのに、訳のわからないまま世の中ますます努力の尊さが叫ばれ、忙しくなり、本を読んだり歌を歌ったりごろ寝する時間も無くなる。

 

自分の現在の生活ランクは自分がどれだけ努力したかに比例するのだ!

なんてお上が宣言すると、街中には「24時間努力してますか?」なんて広告が溢れ、すこし躓いただけで「お前の努力不足」というレッテルが張られるかもしれない。

 

四六時中肩の力を抜きまくりなで肩気味になってるくらいでも生きていける。

まあまあ頑張ったときに「自分はこれだけ努力したんだから大丈夫」と思うくらいでよい。あとは天に運を任せてみる。

少なくとも「自分の努力ですべてが決まる」なんて尊大な思い込みは自分の首を絞めるだけである。