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「努力」を信用しない

「努力は報われるとは限らない。しかし成功者はすべからく努力している」

というセリフが崇められるほど、日本人は努力という言葉が大好きである。

 

しかしどうにもこのセリフは臭い。

このセリフを盲目的に信用して「努力は必ず報われる」と成功者がのたまうのは納得がいかない。

 

もしもこのセリフがこの世の真理を表しているのなら、世の中相当生きにくいはずである。だって努力の総量によって人生のランクが決まってしまうのだから。

 

成功には運の要素が相当作用する。

だから前半の「努力が報われるとは限らない」というエクスキューズが不可欠なのだろうが、それはあまりに都合がよい。

 

死ぬほど努力して成功できなかった。

「報われるとは限らないからね」この一言で終わりである。

訳知り顔で「でもこの経験はいつかきっと役に立つよ!」とかなんとか言われてもそんなアドバイスは糞の役にも立たない。このまま努力しても絶対トップにはなれない。かといってほかのジャンルへ移るとまたイチから努力せねばならない。

 

世の中大した努力もせずに成功した人間は割と大勢いて、たぶんそういう人物は「わらしべ長者」以外に大した伝記にも物語にもなっていないだろうから、社会から黙殺される。

 

初めから「努力しようがしまいが人生何が起こるかわからない。だから適当に生きろ」と言われれば相当楽になる。少なくとも努力至上主義に陥り、「あんなに努力したのに……」とほろほろ落ち込んでいるところに、他人から「お前より努力した人間がいたってことだよ」と、あっさり論破されるような事態には陥らない。

好きなことを自分なりに、適当に頑張ればよい。ひとつのことに打ち込むなり、色んなことに挑戦してみるなり、何にもせずとりあえず寝てもよい。

 

努力と神聖視するのは良くない。

 

完全な努力主義の世界では怠け者は淘汰される。

洗濯機も冷蔵庫も掃除機も怠けるために作られたはずなのに、訳のわからないまま世の中ますます努力の尊さが叫ばれ、忙しくなり、本を読んだり歌を歌ったりごろ寝する時間も無くなる。

 

自分の現在の生活ランクは自分がどれだけ努力したかに比例するのだ!

なんてお上が宣言すると、街中には「24時間努力してますか?」なんて広告が溢れ、すこし躓いただけで「お前の努力不足」というレッテルが張られるかもしれない。

 

四六時中肩の力を抜きまくりなで肩気味になってるくらいでも生きていける。

まあまあ頑張ったときに「自分はこれだけ努力したんだから大丈夫」と思うくらいでよい。あとは天に運を任せてみる。

少なくとも「自分の努力ですべてが決まる」なんて尊大な思い込みは自分の首を絞めるだけである。